部活動の弊害

ひさしぶりにマクドナルドへ行ったら、トレイの紙にこんなことが書いてありました。

「全力で守って
全力で応援する。
くやしいことも、つらいことも、
全力だったら、
いつかステキな思い出になる。
こどもたちの夢や希望が
つまった今日を、
マクドナルドは
全力で応援しています。」

う~ん、なんてキラキラしている文章でしょう。

心がすさんでいるのか私には素晴らしい!・・・とは思えませんでした。

子供のころを思い出して、スポーツを見て憧れただろうか・・・
野球もサッカーも今も好きだけど四六時中応援しているわけでもなく。(むしろ日本サッカーよっわwwとかけなしています)

よくスポーツ選手のインタビューで、夢を与える・・・とかのコメントを聞きますね。
最近では薬物で捕まった清原がテレビで「野球少年の夢を汚してしまい・・・」なんてことを言っていました。

スポーツってそんなキラキラしたものだろうか。
勝ち負けが必ずあって、負けるとたしかに悔しいがなにかペナルティを受けるわけでもない。
むしろやらなくても生きていける。見なくてもなにもこまらない。

必ず必要でないからこそ、目標を「子供たちの夢」とかずれたコメントを平気で口走っている気がする。

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10年近く昔、(これもたしかマクドナルドで)おばちゃんたちの話で子供が野球にのめり込んでいる・・・という話を耳にしたことがあります。

どうも試合で負けたらしいが、おばちゃんの一人はこれでよかったと言っていました。
「これで勉強やるようになるし、スポーツに打ち込んでケガするからやるべきでない。将来のためにならない」ときっぱり。

私は当時、ジャンプにあるような「友情・努力・勝利」のような思想が不変だと思っていて、「子供の夢を否定するなんてなんておばちゃんだ!」と短絡的に思っていました。

しかし、時がたちよくよく考えてみると、たしかにスポーツやったからってどうなのだろうという気持ちが強くなりました。

40度近くの炎天下の甲子園で10代の少年が野球をする。地元の期待やら「仲間」が見てるから、「気合」を入れて連日100球以上なげて酷使する。
ぜんぜん美徳じゃない。むしろ未成年に対する虐待に近い。

テレビに映る人たちは、ほんの一握りの人たちでプロ野球選手になるには東大に入学するより高い倍率を勝ち抜かないといけない。

「努力することが才能」
「天才は必ず努力している」
「努力したからといってすべての人が報われるわけではない。しかし成功した人は必ず努力している」

プロ野球選手になっても一度も一軍の試合に出られない人もいます。

今の時代、才能だけではやっていけない。
そのためには多くの時間を、青春やお金をスポーツにささげないといけない。
遠征費も馬鹿にならないって聞きます。

一生懸命、仲間とスポーツに打ち込んで結局けがして、あっさり負けたり。

現実を知るきっかけになるかもしれませんが、失うものもあるんじゃないですかね。
スポーツができてモテるのは10代までです。

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夢や希望という言葉でコーティングされたスポーツというものは非情にうさんくさい。

東京オリンピックもこれの類ですね。

2 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。

3 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。

引用:http://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

教育や平和等々・・・だれも文句を言う人はいないと思います。

でも現実は、スパルタや先輩後輩上下関係の教育。
人権や平和といっても戦争の国威発揚や一種の公共事業など歴史的に見ても別の方向へ行ってますよね。

金メダルを取るぞと息巻く柔道にも体罰が表面化し問題になったこともありました。
数1000億でできるコンパクトなオリンピックとだまし、結局1兆円を超える予算を計上する2020年東京オリンピック。

健康増進・・・これも現代人なら否定する人は少ないかもしれませんが、必要なのは夢や希望より医学的な知見と正しい知識、実行プログラム。

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職場で仕事は部活なんだ!!なんて言っている人が過去にいました。
いわゆるマッチョな思想。これは要注意です。

上下関係・礼儀・そしてもちろん努力。
こんな言葉が大好きです。

努力はするのでそれなりに実力はあります。
役職が付くとさらに自信を深めて自分の正当性を確認し、次に「教育」と称し体育系の成功体験を人に押し付け始めます。

そうすると、耐えられない脱落者が出て人が辞めていきます。
厳しい中でもたまに残る人がいてその人は評価され役職が付いていきます。(周りが辞めるので消去法で)

そしてまた部活思想を下の人におしつけ・・・DNAが受け継がれていきます。

これって、いま一般化し始めたワード「ブラック企業」に似ていませんか。
努力は美徳な長時間労働。文句は言わない。すべて気合。

そのやり方無理がでてきたんですよね。

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私は中学のころ文科系の部活でしたが、全国大会があり、それに向かって一生懸命みんなで練習していました。
結果的に全国大会に出れて修学旅行が増えたようで良い思い出になったのですが、個人差はあると思いますが別に友情やら、努力の大事さを実感した・・・という感情はなかったです。

部活の顧問のサービス残業も問題じゃないですか。

とにかく、スポーツを応援しても良いが、夢や希望に変換するのはやめろと言いたい。

私は、夢や希望を・・・じゃなくて職業としてやってるっていう人のほうが好き。

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